今回は、ファン歴10年以上、そしてマイケル・ジャクソン(以下、MJ)のダンスや音楽、そしてその背景にあるエンターテイメントビジネスについて深く探求してきた私の視点から、キング・オブ・ポップのが「ビジネスの天才」でもあったということについて解説していきたいと思います。
MJの魅力は、圧倒的な歌唱力やダンスパフォーマンス、楽曲だけではありません。彼のキャリアの裏側には、計算された戦略的思考があったのではないかと思います。
どのようにして自身のブランド価値を最大化し、エンターテイメント界の頂点に君臨し続けたのか?
今回は、以下の点に焦点を当てて、彼のビジネスマンとしての驚異的な手腕を深掘りしていきます。
※本記事は調査した内容を基にした著者の解釈が多分に盛り込まれております。事実と異なる部分も含まれているかもしれないですが、読み物としてお楽しみいただければ幸いです。
1. 戦略的な命名とマーケティング「ムーンウォーク」
MJの代名詞ともいえる「ムーンウォーク」。この技には、彼のビジネスセンスが凝縮されていると言っても過言ではありません。
起源:以前から存在した「バックスライド」
意外に思われるかもしれませんが、「ムーンウォーク」として私たちが知っているあの動き(前進しているように見えて実際には後退する動き)は、元々はストリートダンスの世界で「バックスライド(Backslide)」と呼ばれていた技法が起源とされています。
類似の動きは、1930年代のキャブ・キャロウェイのパフォーマンス や、1940年代のビル・ベイリーの映像にも確認できます。また、パントマイムの世界でもマルセル・マルソーが似た動きを取り入れていました。
1970年代後半から80年代初頭にかけては、『ソウル・トレイン』などで活躍していたジェフリー・ダニエルや、ポッピングのパイオニアであるエレクトリック・ブーガルーズのメンバーたちがこのバックスライドを披露していました。
↑ジェフリー・ダニエルの1979年のソウルトレインでのムーンウォーク披露の映像です。
ムーンウォークのみならず冒頭の動きからはMJの有名な「Dangerous」を彷彿させる動きが多数あります。
マイケル流への昇華と「ムーンウォーク」というネーミング
MJが天才的だったのは、既存のバックスライドを単に模倣しただけでなく、自身のスタイルに合わせて圧倒的な精度と洗練度でパフォーマンスに取り入れたことです 。そして、この技に「ムーンウォーク」という、あまりにもキャッチーで神秘的な名前を与えたこと。
考えてみてください。「バックスライド」という専門用語と、「ムーンウォーク」というまるで月面を滑るかのような響き。このネーミング一つで、技そのものに強烈なブランドイメージが付与されました。元々あった技でありながら、「マイケル・ジャクソンのムーンウォーク」として世界中の人々の記憶に刻まれたのです。
MJがバックスライドを誰から学んだかについては諸説ありますが、当時のトップダンサーから影響を受けたことは確実だと思われます。重要なのは、彼はそれを自分のものにし、そして世界を熱狂させるための「商品」として完成させた点です。
伝説のモータウン25:世界を変えた数秒間
そして、この戦略が最大限の効果を発揮したのが、1983年のテレビ特番『モータウン25』でした。ジャクソン5としてのパフォーマンスの後、ソロで「ビリー・ジーン」を披露したMJは、間奏部分で初めて公の場でムーンウォークを披露しました。
たった数秒の動きでしたが、放送翌日には、ムーンウォークの話題で持ちきりになり、世界中の若者が真似しようとしました。この瞬間、MJは単なる人気歌手から、文字通り世界的な文化現象へと突き抜けたのです。
さらに驚くべきことに、このパフォーマンスは当時既に大ヒットしていたアルバム『スリラー』の売上をさらに急上昇させ、倍増させたと言われています。これにより、『スリラー』は「史上最も売れたアルバム」という不動の金字塔を打ち立てることになったのです。
既にヒットしているタイミングで、最高の舞台を選び、視覚的なインパクトを持つ技を披露する。この一連の流れは、既存の勢いを最大限に活かすための、計算し尽くされたマーケティング戦略でした。ムーンウォークという強力なフックが、彼のキャリアとビジネスを文字通り次のレベルへ押し上げたのです。
関連記事:マイケルジャクソンの凄さを徹底的に考察
2. 音楽出版権ビジネス:キング・オブ・ポップが見抜いた「富の源泉」
MJは、ステージの上のパフォーマーとしてだけでなく、音楽業界の裏側、特に「音楽出版権」というビジネスにおいても先見の明を持っていました。
ビートルズ楽曲買収の衝撃とその経緯
MJが音楽出版権の重要性に気づいたのは、友人でもあったポール・マッカートニーとの交流がきっかけだったと言われています。マッカートニー自身が楽曲の権利を持つことの価値をMJに語ったそうです。
そして1985年、ビートルズの楽曲を含むATVミュージックのカタログが売りに出されると知るや、MJは大胆にもその買収に乗り出しました。最終的に、約4,750万ドル(当時の約113億円)でこれを手中に収めたのです。
この買収劇は、かつてアドバイスをくれたマッカートニーをも競り落とす形となり、二人の間に亀裂を生んだと広く報じられました。「これはビジネスだ」と語ったMJの姿勢と、自身の曲を歌うたびにMJ側にロイヤリティを支払うことになったマッカートニーの不満。音楽ビジネスの厳しさが垣間見えるエピソードですね。
ビートルズ自身が楽曲の出版権を失っていたという背景も知っておくと、MJの買収がいかに象徴的だったかが分かります。
こちらの方が書いたブログにも詳細が記載されています。
ビートルズの著作権をマイケル・ジャクソンが買収?
出版権ビジネスが持つ戦略的意義
音楽出版権とは、楽曲が使われるたびに収益を生み出す、まさに「金の卵」のような資産です。ビートルズのような膨大なヒット曲を含むカタログの所有は、文字通り長期的に莫大なキャッシュフローを生み出し続けることを意味します。
MJは、このビジネスの真の価値を早期に見抜いて大胆な投資を行い、自身の経済的基盤を盤石なものにしました。これは単なる収益目的だけでなく、レコード会社などに対する自身の交渉力を高め、そして何より自身の音楽的レガシー(遺産)を自身(あるいは遺族)がコントロールするための、極めて戦略的な一手だったと考えられます。
3. 知財管理とブランド戦略:パフォーマンスもビジネス資産に変える思考
MJの戦略的思考は、楽曲の著作権に留まらず、自身の持つあらゆる「知的財産(IP)」を管理し、活用することに及びました。
自身の著作権・肖像権を守り、活用する
自身の楽曲著作権をMijac Musicで管理していたように、MJは自身のパフォーマンス、スタイル、イメージといった無形の資産についてもその価値を深く理解していました。彼の死後、これらの権利はMJ Estateによって厳重に管理されています。
遺産管理財団は、権利を保護するだけでなく、積極的に活用しています。死後のアルバムリリース、ブロードウェイミュージカル『MJ the Musical』、シルク・ドゥ・ソレイユのショーなど、様々な形でMJのIPは今なお収益を生み出し続けています。12億ドル以上と評価される音楽カタログだけでなく、彼の肖像権やブランドイメージもまた、彼の資産として残っています。
「ゼロ・グラヴィティ」に見る特許戦略
「スムーズ・クリミナル」のパフォーマンスで観客を驚愕させた「ゼロ・グラヴィティ。あの反重力的な前傾姿勢を実現するための特殊な靴のメカニズムについても、MJは共同発明者と共に米国特許を取得しています。
この特許技術によって実現された、視覚的に非常にインパクトのあるパフォーマンスです。
自身の象徴的なダンスパフォーマンスの「技術」そのものを特許で保護する。これは、芸術表現を知的財産として守るという、当時のアーティストとしては極めて先進的で戦略的な視点でした。自身のオリジナリティが、単なるパフォーマンスとして消費されるだけでなく、権利として守られるべき価値を持つことを理解していた証拠です。
4. ビジネス交渉と興行戦略:エンタメ界を動かした冷徹な手腕
MJのビジネスマンとしての才能は、レコード会社との契約交渉や、世界中で行われた大規模なツアー興行においても遺憾なく発揮されました。
レコード契約:当時の常識を覆す印税率
ソロキャリア初期から、MJは自身の圧倒的な市場価値を正確に把握していました。1980年には、当時の音楽業界では最高水準とされる、アルバム卸売利益の37%という驚異的な印税率をエピック・レコードとの間で確保したと報じられています。さらに、『スリラー』に関しては、1枚売れるごとに2ドルという破格の印税を得ていたという情報もあります。
これは、彼が単なるアーティストではなく、自身の生み出す価値をビジネス的な観点から評価し、それを交渉の材料として最大限に活かす能力を持っていたことの証明です。もちろん、後のソニー/エピックとの関係は険悪になった時期もありましたが、彼の遺産管理財団は現在もソニーと強固なパートナーシップを築いています。
ワールドツアー戦略:国際市場とロジスティクス
MJのワールドツアーは、その規模と収益性において、当時の音楽業界の常識を塗り替えました。
「Bad World Tour」(1987–89) は初のソロツアーにも関わらず、観客動員数440万人、総収益1億2,500万ドルという当時の記録を樹立しました。特に注目すべきは、初期のツアーではアメリカよりも国際市場(アジア、オセアニア、ヨーロッパ)に重点が置かれていた点です。
「Dangerous World Tour」(1992–93) や 「HIStory World Tour」(1996–97) でも、国際市場への注力は継続されました。これは、当時のアメリカ国内市場の状況や、国際市場における収益性の高さ、メディアの監視度合いなどを考慮した、冷徹なビジネス判断だった可能性があります。
[動画Placeholder: Bad World TourやDangerous World Tourのライブ映像] (解説:巨大なセットや観客の熱狂ぶりは、彼のツアーのビジネス的な成功規模を視覚的に伝えます。
また、大規模な機材輸送のために巨大輸送機を手配するなど、超大規模なプロダクションを支えるための高度なロジスティクス管理も、彼のツアービジネスの戦略性を示しています。
ペプシとの長期提携:事故さえ乗り越える関係性
前述のペプシとの提携は、彼のコマーシャルバリューの高さを示すと同時に、パートナー企業との長期的な関係を構築・維持する手腕も物語っています。1983年の最初の契約は500万ドル規模、事故後の新規契約は1,000万ドルとも言われます。
CM撮影中の事故という極めてデリケートな状況がありながらも、双方にとってのビジネスメリット(ペプシにとってはMJの絶大な影響力による商品の訴求力、MJにとっては莫大な契約金とグローバルな露出)が、関係を継続させたと考えられます。これは、感情論だけでなく、長期的なビジネス上の利益を追求するMJの合理的な判断力があったからこそ実現できたと言えるでしょう。
5. ミュージックビデオの革新:巧みなプロモーション戦略
MJはミュージックビデオ(MV)を単なる楽曲プロモーションツールから、一つの独立した芸術形式へと引き上げました。これもまた、彼の戦略的なメディア活用の一環でした。
「ショートフィルム」という名の革命
MJは自身のMVを単に「ビデオ」と呼ばず、意図的に「ショートフィルム」と呼びました。この呼称自体が、単なる販促ツールではなく、映像作品としての芸術性や物語性を主張する戦略的なものでした 。彼は映画並みの制作費と技術、複雑なストーリー、そして精巧な振り付けをMVに持ち込みました。
「スリラー」:規格外の制作と計り知れない影響
その最高峰が1983年の「スリラー」ショートフィルムです。ホラー映画の巨匠ジョン・ランディスを監督に迎え (26)、当時のMVとしては破格の50万~90万ドルという巨額の予算が投じられました。
レコード会社が難色を示す中、MJ側は制作舞台裏のドキュメンタリー『メイキング・オブ・スリラー』の放映権を販売することで資金を調達するという、これもまた画期的なビジネスモデルを考案しました。
約14分に及ぶ「スリラー」は、ホラー、物語、ダンスを融合させ、MVの概念を根底から覆しました。公開後、『スリラー』アルバムの売上は再び急増 、『メイキング・オブ・スリラー』のビデオソフトも記録的な大ヒットとなりました。この作品は、MJの世界的名声を決定的なものにし、MVを重要な芸術およびマーケティング手段として確立したのです。
MTVの人種的壁を打ち破る力
1981年に開局したMTVは、当初ロック中心で黒人アーティストのMVをほとんど放送しませんでした。MJの「ビリー・ジーン」も当初は拒否されましたが、当時のCBSレコード社長が圧力をかけ、放送が実現したと言われています。
「ビリー・ジーン」、そして続く「今夜はビート・イット」、「スリラー」の歴史的大ヒットは、MTVの方針を根底から変えました。MTVはポップやR&BのMVを積極的に放送するようになり、視聴者数も急増 。MJのMVは、テレビにおけるポピュラー音楽の人種的な壁を打ち破る上で、極めて重要な役割を果たしたのです。これは、彼が単なるエンターテイナーに留まらず、社会やメディアの構造を変える影響力を持つ存在だったことを示しています。
常に最先端を追求した映像表現
MJはMVにおいて、常に創造的・技術的な限界を押し広げることに挑戦しました。著名な映画監督の起用、当時最先端の特殊効果(例:「ブラック・オア・ホワイト」のモーフィング技術、複雑で高度な振り付けの導入。
「バッド」の18分バージョン、「スムーズ・クリミナル」の革新的なダンスと物語など、彼の「ショートフィルム」は常に新しい試みに満ちていました。これらは、MVを自身の芸術表現と影響力を行使するための主要なプラットフォームと捉え、そこに惜しみなく投資する彼の戦略的姿勢の現れです。
6. 結論:マイケル・ジャクソン=「戦略的天才」である理由
今回の調査を通して、マイケル・ジャクソンが、私たちがよく知る「キング・オブ・ポップ」というイメージに加え、極めて卓越した戦略的思考を持つビジネスマンであったことが明らかになりました。
彼の成功は、比類なき芸術的才能と、それをビジネス的な成功に結びつけるための冷徹かつ長期的な戦略眼によって支えられていたのです。
改めて、彼の戦略的要素をまとめると以下のようになります。
- 視覚的マーケティングの熟達: ムーンウォークや革新的なMVで、音楽を視覚的な体験として世界に届けた。
- ビジネスにおける先見性: 音楽出版権のような長期資産の価値を見抜いた洞察力。
- 知的財産の戦略的管理と活用: 楽曲、パフォーマンス技術、ブランドイメージなど、自身のすべてをIPとして捉え、保護・活用した。
- 計算されたリスクテイク: ATV買収やMVへの巨額投資といった、成功のための大胆な決断。
- 有利な条件を引き出す交渉力: レコード契約やエンドースメント契約における並外れた交渉手腕。
- グローバルな視点: ツアーやブランド構築において、常に世界市場を見据えていた。
マイケル・ジャクソンは、単に歌って踊るだけのアーティストではありませんでした。彼は自身の才能を最大限に活かすための戦略を練り、実行し、エンターテイメントビジネスそのものの常識を塗り替えたイノベーターだったと思います。
いかがでしたでしょうか? MJの違った一面を知ることで、彼の作品をもっと深く楽しめるようになったら嬉しいです。
本ブログでは、今後もマイケル・ジャクソンをはじめ、世界のスーパースターたちの知られざる魅力や背景にあるストーリーをお届けしていきます。




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