マイケルジャクソン大好きな私ですが、今回は日本のロックシーンにおける偉大なデュオ、B’zについてお話ししたいと思います。
私も中学生の頃からハマり、マイケルと同じ位、10年以上B’zの音楽を聴いてきました。
そんなB’zの楽曲を聞いていた時、「あれ?このイントロ、どこかで聴いたことがあるぞ…?」と感じたことがありました。それが、彼らの楽曲「Time Flies」のイントロです。
初めて聴いた瞬間、「マイケルの『Beat It』のギターリフだ」と、大好きなB’zの曲に、大好きなマイケルの音が響いているという嬉しい気持ちになったのを覚えています。
音楽の世界では、他のアーティストの楽曲から影響を受けたり、一部のフレーズを借用したりする「サンプリング」や「オマージュ」といった文化があります。意図的に取り入れることで、知らなかった人には新しい音楽体験になり、ファンにとっては「おおっ!」という嬉しいサプライズになります。(中には不快に感じる方もいると思いますが…)
しかし、B’zに関しては、この「Time Flies」と「Beat It」の類似性だけでなく、キャリアを通じて様々な楽曲に「他の曲と似ているのではないか?」「パクリではないか?」という疑惑が付きまとってきた、という側面もあります。なぜ、あれほど偉大なB’zにそのような疑惑が生まれるのか? そして、私の心を震わせた「Time Flies」のイントロは、本当にマイケルへのオマージュだったのか?
今回は、私自身の個人的な体験と、様々な情報源を使った調査結果をもとに、B’zの「パクり」疑惑について徹底的に検証し、あのイントロに隠された秘密、そしてマイケルとの関連性についても深掘りしていきたいと思います。
B’z「Time Flies」とマイケル「Beat It」の類似性
まず、この記事を作成するきっかけにもなった、B’zの「Time Flies」とマイケルの「Beat It」の関連性について掘り下げます。
リスナーが感じたあのイントロ
多くのリスナーが、B’zの「Time Flies」のイントロにおけるギターリフが、マイケルの「Beat It」の象徴的なリフにとても似ていると感じています。様々な情報源を使った調査でも、この類似性は複数の分析で指摘されており、特にギターのチューニングが半音下げである点まで共通しているという具体的な言及もありました。
オンライン上の議論や Amazon のカスタマーレビューなどを見ても、この類似性はリスナーの間で広く認識されている事実として扱われています。初めて聴いた時の私の感覚は、決して特別なものではなかったんですね。
マイケル急逝後のリリース:これは追悼だったのか?ファンによるトリビュート仮説
B’zの楽曲「Time Flies」が収録されたアルバム『MAGIC』は、2009年11月にリリースされました。これは、マイケル・ジャクソンが同年6月に急逝した、わずか数ヶ月後の時期にあたります。
この偶然ではないかと思えるリリース時期と、楽曲の明白な類似性から、ファンの間では「Time Flies」がマイケルへの意図的なオマージュ、あるいは追悼のメッセージなのではないか、という憶測が繰り返し語られています。ファンによるブログ記事などでも、この可能性が示唆されていました。
リスナーの間でこの「トリビュート仮説」がこれほど根強く語られる背景には、イントロリフの類似性が聴覚的に非常に明白で、偶然の一致と片付けるには印象が強すぎること、そしてマイケルの死という世界的な出来事と楽曲リリースのタイミングが近接していること、という二つの強力な要因があると考えられます。この二つが組み合わさることで、リスナーの間で自然に「これはきっとそういう意図だろう」という解釈が生まれた可能性が高いです。音楽作品は、このように受け取る側の解釈によって、新たな意味や物語が付与されていくんですね。
B’zメンバーからの公式な言及は?
リスナーの間で「トリビュート説」が広く語られる一方で、調査した範囲の B’z のメンバー(稲葉浩志さん、松本孝弘さん)のインタビュー記録の中には、「Time Flies」と「Beat It」の類似性について直接言及したり、意図的なトリビュートやオマージュであることを認めたりする公式な発言は見当たりませんでした。
もちろん、公に語っていないだけで、実際に追悼の意を込めていた可能性はゼロではありません。しかし、少なくとも公式には確認されていない、というのが現状です。このアーティスト側からの「語られない空白」が、リスナーの憶測をより活発にさせている側面もあるかもしれません。
なぜB’zは「パクリ」と言われやすいのか?長年の論争の深層
「Time Flies」の件だけでなく、B’zはそのキャリアを通じて、様々な楽曲に「他の曲と似ているのではないか?」「パクリではないか?」という疑惑に晒されてきました。なぜ、あれほど成功したB’zに、そのような論争が付きまとうのでしょうか?
なぜB’zは「パクリ」と言われやすいのか?人気の宿命?
様々な情報源を使った調査では、B’zに対する盗作疑惑が絶えない背景の一つとして、彼らの圧倒的な知名度と人気が挙げられています。「B’zがこれほどネット上でパクりに言及されているのは、言うまでもなく、人気なので注目されているからです」という指摘は、まさにその通りだと思います。
彼らの楽曲が多くの人々の耳に触れる機会が多いほど、既存の楽曲との類似点を指摘される可能性も高くなります。もし無名のバンドが同じようなリフを使っても、ここまで大きな話題にはならないかもしれません。B’zの絶大な人気が、彼らの作品に対する厳しい精査を招いている側面があると言えるでしょう。これはある意味、人気者ならではの宿命とも言えるかもしれません。
音楽における「パクリ」「オマージュ」「影響」「サンプリング」の境界線
「パクリ」論争を理解するためには、音楽における様々な「借用」の形を区別する必要があります。
- パクリ(盗作): 他人の作品のメロディやリフなどを無断で借用し、自分の作品として発表する行為。オリジナルに対する敬意がありません。著作権侵害にあたる可能性があります。
- オマージュ: 特定の作品やアーティストへの敬意を表すために、意図的にその要素を取り入れること。通常、敬意を示す形で、あるいは元ネタが分かるように行われます。「敬意」の有無が重要とされます。
- 影響・インスピレーション: 他の音楽に触発され、自身の音楽スタイルや創作へと繋がること。直接的な模倣とは異なります。アーティストが自覚していることも、無自覚なこともあります。
- サンプリング: 既存の楽曲の「音源」そのものの一部を切り取って、新しい楽曲に組み込む手法。通常は著作権者からの許諾が必要です。
B’zに対する疑惑は、単純なサンプリング(音源の借用)というよりは、メロディやリフ、アレンジ、楽曲構成といった「アイデア」や「スタイル」の類似性に関するものが中心です。そして問題は、これらの境界線、特に「影響」と「パクリ(盗作)」の線引きが非常に曖昧で、聴き手の主観によって判断が分かれやすいという点にあります。「本人はインスパイアされたと主張しても、相手はパクられたと感じてしまうこともある」という指摘は、まさにこの難しさを示しています。
法的な「盗作」とは?その判断の難しさ
音楽における「盗作」が法的に成立するためには、単に似ているというだけでは不十分です。日本の著作権法では、元となる作品に「依拠性」(参考にしたこと)があり、かつ「実質的な類似性」(著作物の本質的な特徴が似ていること)が認められる必要があります。特に音楽の類似性の判断は専門家による分析を要する厳格なプロセスであり、一般的な「パクリ」と非難されるケースよりもはるかに高い基準が求められます。
調査した限り、B’zが盗作で有罪であるという公式な法的判断や訴訟結果に関する記録は見当たりませんでした。これは、疑惑が存在することと、法的な有罪認定との間には大きな隔たりがあることを示唆しています。長年にわたり数多くの疑惑が提起されながらも、公にされた法的措置や敗訴の記録がないという事実は、彼らの借用が法的な侵害の閾値を超えていないと判断されてきた、という可能性を示唆しています。(ただし、これはB’zの潔白を法的に証明するものではありません。)
3. 主な「パクり疑惑」楽曲と元ネタとされる曲たち
B’zの楽曲の中で「パクリ」疑惑が指摘されているものは多数ありますが、調査で特に頻繁に言及され、代表例として扱われている楽曲をいくつか見てみましょう。
主な疑惑楽曲と元ネタとされる曲(調査に基づく一部):
- BAD COMMUNICATION (1989) vs. Trampled Underfoot (Led Zeppelin, 1975) – 特にギターリフの類似性
- ZERO (1992) vs. Victim Of Love (Eagles, 1976) – メインリフ、ヴァース構造の類似性
- ALONE (1991) vs. Time For Change (Mötley Crüe, 1991) – パワーバラード構造、雰囲気の類似性
- 破れぬ夢をひきずって (1993) vs. Right Now (Van Halen, 1991) – キーボードイントロ、楽曲構成の類似性
- ギリギリchop (1999) – イントロリフなど、複数の楽曲との類似性が指摘されることがある
- IT’S SHOWTIME!! (2003) – サビメロディなど、複数の楽曲との類似性が指摘されることがある
- 初期アルバム楽曲群 (1988-90) vs. DAN REED NETWORK 等 (1980年代後半) – 全体的な雰囲気、アレンジの類似性
代表的な疑惑ケースの検証
- 「BAD COMMUNICATION」とレッド・ツェッペリン「Trampled Underfoot」: このギターリフの類似性はあまりにも有名で、B’zの「パクリ」論争において象徴的な存在です。初期のB’zのイメージを決定づけた楽曲であるだけに、この指摘は根強く残っています。
- 「ZERO」とイーグルス「Victim Of Love」: メインリフやヴァース構造に類似性が指摘される一方、分析では、B’zが元ネタの要素を取り入れつつも、異なるコードや転調を加え、B’z流ロックに「昇華」させているという見方もありました。単なる模倣ではなく、B’zなりの解釈と再構築がなされたと見る向きもあります。
- 「ALONE」とモトリー・クルー「Time For Change」: パワーバラードとしての雰囲気や構成の類似性が指摘されます。
- 「破れぬ夢をひきずって」とヴァン・ヘイレン「Right Now」: ヴァン・ヘイレンの印象的なキーボードイントロとの類似性です。分析では、B’z版はキーボードをより劇的にし、チョッパーベースを加えるなど、B’z流に増幅・発展させたという解釈が見られました。
これは「引用」?意図的な借用とされる例
一部の楽曲については、盗作というよりは「完全に『引用』の類」であると見なされることもあります。これは、B’z側が意図的に元ネタをリスナーに示唆する形で楽曲に取り入れている可能性を示唆します。ただし、アーティスト自身による明確な言及がない限り、どこまでが「引用」でどこからが「模倣」なのかの境界線は曖昧です。
これらの例は、B’zの楽曲における「借用」が一様ではなく、直接的なリフの類似から、より広範なスタイルや雰囲気の類似、さらには意図的な「引用」と見なされるものまで、様々なレベルと性質を持っていることを示唆しています。
B’zメンバーが公言する音楽的ルーツ:マイケルとの接点は?
B’zの音楽がどのように形成されたのかを知るには、メンバーである松本孝弘さんと稲葉浩志さんが、どのようなアーティストから影響を受けたのかを知ることが重要です。そして、そこにマイケル・ジャクソンとの接点があるのかも見てみましょう。
松本孝弘のロックギターヒーロー遍歴とマイケルとの衝撃的な遭遇
ギタリストであり、B’zの多くの楽曲を作曲する松本孝弘さんは、マイケル・シェンカーやゲイリー・ムーアといったハードロックギタリストから強い影響を受けたと公言しています。彼らのドライブ感のあるサウンド、キャッチーなメロディ、歌心溢れるソロプレイが、松本さんのギタープレイや作曲に大きな影響を与えています。レッド・ツェッペリンやディープ・パープル、ヴァン・ヘイレンなども彼のルーツとして挙げられています。
松本さんの音楽的背景は主に70年代から80年代の洋楽ハードロックにありますが、ロックや歌謡曲に加えて、ジャズやブルースなども聴いて育ったという多様な一面も持っています。TM NETWORKのサポートなど、セッションギタリストとしての豊富な経験も、幅広いジャンルへの対応力を培っています。
そんな松本さんですが、マイケル・ジャクソンとの興味深い接点があります。彼は、マイケルの「Bad World Tour」のライブを観覧した経験について語っており、その際にマイケルの圧倒的な存在感とオーラに衝撃を受けたそうです。「まばゆいばかりの後光が差していた」と感じ、周囲の音が聞こえなくなるほどの感覚に陥ったと述べているほどです。
この体験は、松本さんの核となる音楽性(ロックギター)に直接的な影響を与えたというよりは、ジャンルを超えた、卓越したパフォーマー、そしてエンターテイナーとしてのマイケルに対する、純粋な畏敬の念から来ていると考えられます。これは、B’zの楽曲に時折見られる非ロック要素(ファンクやディスコなど)に繋がっているというより、彼の広範な音楽への理解と評価の一部として位置づけられるでしょう。
稲葉浩志の多様なロックルーツとジャクソンズへの深い感銘
ヴォーカリストであり、B’zの全楽曲の作詞を手掛ける稲葉浩志さんも、主にロック系のアーティストを自身のルーツとして挙げています。エアロスミス、レッド・ツェッペリン、クイーン、ジェフ・ベック、アイアン・メイデンなど、彼が影響を受けたアルバムとして挙げるのは、やはりロックやヘヴィメタルが多いです。これらは、彼のパワフルなヴォーカルスタイルやステージパフォーマンスに影響を与えています。
稲葉さんにも、マイケルとの興味深い接点があります。彼は、ジャーメイン・ジャクソンさんが参加したジャクソンズのライブを観て、非常に強い感銘を受けたことを語っています。そのパフォーマンスの力強さに「凄いんですよ」と感嘆し、「魂抜かれました」と表現するほど深く心を動かされたそうです。さらに、後にジャーメイン・ジャクソンさん本人にインタビューを行い、マイケルの遺産や兄弟間の関係性についても深く掘り下げた会話も交わしています。
稲葉さんにとって、自身のヴォーカルスタイルや音楽性を形成する上で直接的な影響を与えたのは主にロック系のアーティストたちでしょう。しかし、ジャクソンズ(ひいてはマイケル)に対しては、自身の音楽的ルーツとは異なる領域にありながらも、そのパフォーマンス、影響力、そして音楽史における功績に対して、深い敬意と感銘を抱いていることがうかがえます。ライブ体験時の「魂抜かれました」という強い感情的反応は、彼の中で「音楽的スタイルの源流となった存在」と「パフォーマーとして、あるいは音楽史上の存在として深く尊敬する存在」が区別されている可能性を示しています。
二人の音楽的ルーツに見る共通点と違い
松本さんと稲葉さんに共通しているのは、70年代から80年代の洋楽ロックという確固たるルーツです。彼らが基盤とするハードロックというジャンルは、レッド・ツェッペリンやヴァン・ヘイレンといった彼らの影響源によって確立された音楽的語彙を持っており、その伝統の中で音楽を創造することは、結果として先達の音楽とDNAを共有することを意味します。これが、意図せざる類似性を生む一因となる可能性は否定できません。
一方で、マイケル・ジャクソンとの接点は、どちらかというと「影響を受けたアーティストリスト」に含まれる直接的な音楽スタイルへの影響というよりは、**「パフォーマーとして、エンターテイナーとして、そして音楽史上の存在として、深くリスペクトし、感銘を受けた存在」**という側面が強いように、調査からは読み取れます。彼らはマイケルの音楽を聴いて育った世代であり、その圧倒的な存在感に触れた経験は、彼らの音楽への向き合い方や、目指すエンターテイナー像に、間接的ながらも影響を与えている可能性は十分にあると言えるでしょう。
B’zのサウンドパレット:ロックを核に様々な要素を取り入れる
B’zの音楽は、単なる純粋なハードロックではありません。そのサウンドパレットには、様々なジャンルの要素が取り入れられています。
ハードロック基盤に加わるポップ、ダンス、ファンクの色彩
B’zの音楽的基盤がハードロックにあることは揺るぎありません。しかし、特にキャリア初期においては、当時の主流であったダンスポップの影響も受けていたことが示唆されています。松本孝弘さんのTM NETWORKでのサポート経験は、この点とも関連している可能性があります。
「BAD COMMUNICATION」がディスコ向けにプロモーションされたエピソードや、「弱い男」、「MVP」といった楽曲に見られるファンクやディスコの要素は、特定の楽曲における「味付け」として取り入れられています。これらの要素は、70年代から80年代のディスコやファンクといった文脈で語られることが多く、必ずしもマイケル個人に直結するものとして分析されているわけではありませんが、B’zがハードロックという枠にとらわれず、多様なジャンルを取り込む柔軟性を持っていることを示しています。
B’zは、ポップやダンスミュージックの要素を取り込む能力を示してきましたが、それは松本さんの多様な音楽的経験に裏打ちされた戦略的な選択であった可能性が高いです。しかし、彼らの核となるアイデンティティは、最終的にはJ-ROCKの領域で確立・強化されました。他のジャンルの要素は、あくまでロックという基盤の上での「ファンキーな味付け」として機能しており、ポップ、R&B、ファンク、ロックを根底から融合させたマイケルのアプローチとは異なる方向性を示しています。
マイケル・ジャクソンというグローバル・ポップ統合体との違い
マイケルは、ロック、ポップ、R&B、ソウル、ダンスミュージックといった多様なジャンルを、国境や人種を超えて世界中の聴衆を魅了する形で融合させた、比類なき才能の持ち主でした。彼の音楽ビデオやライブパフォーマンスにおける革新性は、エンターテインメント業界全体に大きな影響を与えました。その影響力は、ジャンルや文化を超えて数多くのアーティストに及んでいますが、B’zの音楽は、多様な要素を取り入れつつも、やはり「J-ROCK」という明確なアイデンティティの中で構築されています。
マイケルがジャンルを根本から解体・再構築して新しいグローバル・ポップを創り出したとすれば、B’zはハードロックという核を保ちながら、そこに様々なジャンルの要素を巧みにブレンドして、独自のJ-ROCKサウンドを確立した、と言えるでしょう。アプローチは異なりますが、どちらも自身の音楽的ルーツと創造性を融合させた偉大なアーティストです。
論争の声:批評家、ファン、そして世間の評価
B’zの「パクリ」論争に対する世間の反応は一様ではありません。批評家、ファン、そして一般的なリスナーの間で様々な見方があります。
様々な批評家の見方
批評家の中には、B’zの楽曲に見られる類似性に対し、厳しい評価を下す人もいます。特に「BAD COMMUNICATION」のようなケースは、音楽ライターの著作などで批判的に言及されることもあります。一部では、「単なる模倣」「ネタ元とはかけ離れた酷いパクリ」といった辛辣な評価が存在することも示唆されています。
一方で、B’zの実行力、キャッチーなメロディ、そしてパスティーシュ(模倣作)を新鮮で楽しいものにする能力を評価する声もあります。模倣か革新か、という議論は批評家の間で続いているテーマです。
ファン心理:問題認識と音楽への愛着の葛藤
ファンの間でも、この問題に対する反応は複雑です。調査で参照した意見の中には、問題点を認識しつつも楽曲の魅力を認め、「素直に褒めることが出来ないのがなんとも」と複雑な心境を吐露する声や、「ちょっとヤリすぎ」と問題点を指摘する声もありました。これは、倫理的な問題意識と、B’zの音楽そのものに対する愛着との間で葛藤を抱えている層がいることを示しています。
一方で、「B’zがパクリアーティストだと知った所で…実際フェスに行って「Ultra Soul」がプレイされていたら『ハァイ!』しちゃう程度にしか気にしない」という意見もありました。これは、多くのファンにとって、ライブでの一体感や音楽そのものの楽しさが、盗作疑惑に対する懸念を上回ることを示唆しています。
このように、ファンの中には問題自体をそれほど重視しない層や、問題は認識しつつも音楽への愛着が勝る層、そして倫理的な問題意識を強く持つ層など、様々な意見が存在することがうかがえます。
オンラインコミュニティでの議論
5ちゃんねるのような匿名掲示板では、この種の議論が非常に活発に行われています。B’zの絶大な人気が、ネット上での「パクリ」に関する言及の多さに繋がっているという指摘もあり、疑惑のカタログ化や検証(あるいはその逆の擁護)が日々行われ、時に過激な意見も交わされます。こうしたオンラインの言説空間は、疑惑を収集・増幅し、特定の視点からの「証拠」(比較動画など)を提示することで、B’zの「パクリ」イメージの形成と維持に大きな役割を果たしています。
複雑な論争の中で輝き続けるB’zの音楽
今回の徹底調査を通じて、B’zを巡る「パクリ」論争の複雑さが改めて明らかになりました。特定の楽曲における類似性の指摘、音楽における借用の曖昧な境界線、法的な盗作認定の難しさ、そしてアーティスト側の沈黙といった様々な要素が絡み合い、この問題は長年にわたり未解決のまま、世間の議論の対象であり続けています。
特に、私が個人的に心惹かれた「Time Flies」のイントロとマイケルの「Beat It」の類似性については、多くのリスナーがその関連性を感じており、マイケル急逝後のリリース時期から「追悼の意」ではないかというファンによる推測が広く語られています。しかし、B’zのメンバー自身からの公式な言及は(調査した資料の範囲内では)確認できませんでした。これは、最も具体的でありながら、アーティストの意図については謎を残す、興味深い接点と言えます。
B’zの音楽は、松本孝弘さんと稲葉浩志さんが公言する通り、主に70年代から80年代の洋楽ロックという確固たるルーツに根差しています。彼らはその基盤の上に、ポップ、ダンス、ファンクといった様々な要素を巧みに取り入れ、独自のJ-ROCKサウンドを確立しました。マイケル・ジャクソンは、彼らの「音楽スタイルへの直接的な影響源リスト」には含まれていませんでしたが、メンバーが彼の圧倒的なパフォーマンスやオーラに強い感銘を受けていたことは、彼らのエンターテイナーとしての姿勢や、目指す音楽のあり方に、間接的な影響を与えている可能性を示唆しています。
「パクリ」論争は、B’zというアーティストの音楽を語る上で、避けて通れない重要な側面となっています。この絶え間ない疑惑にもかかわらず、B’zが極めて長きにわたり、多大な成功を収め続けてきた事実は揺るぎありません。彼らの楽曲が持つ圧倒的なキャッチーさ、ライブでのパフォーマンス力、そしてファンとの強い繋がりは、こうした議論をもってしても揺るがない、彼らの音楽の強さの証明と言えるでしょう。
音楽における借用や類似性の問題は、B’zに限らず、古今東西の多くのアーティストに存在します。それは、音楽が過去の遺産の上に築かれていく文化であることの裏返しでもあります。どこまでが許容される「影響」や「オマージュ」で、どこからが非難されるべき「模倣」なのか。その境界線は曖昧で、受け取る側の主観によっても変化します。
この論争は、B’zの音楽に対する深い(時には批判的な)エンゲージメントを生み出し、良くも悪くも彼らを常に話題の中心に置き続けてきました。しかし、この未解決の状態そのものが、B’zというアーティストの、複雑で魅力的なレガシーの一部となっているのかもしれません。
私としては、あの「Time Flies」のイントロを聴くたびに、大好きなB’zと大好きなマイケルが、音の響き合いで繋がったように感じ、嬉しい気持ちになります。それが意図的なオマージュであったかどうかは、アーティストのみぞ知ることかもしれませんが、リスナーがそこに意味や繋がりを感じることも、音楽の楽しみ方の一つだと思います。
複雑な論争を理解した上で、改めてB’zの音楽に触れてみると、また違った発見があるかもしれません。彼らの音楽の力強さ、そしてそのサウンドに隠された様々なルーツや響き合いを、これからも楽しんでいきたいと思います。
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